古風なインド人女性がニューヨークで見つけたもの
マダム・イン・ニューヨークというインド映画をご存知でしょうか?
夫からも子供たちからも、愛されているけど認めてもらえない古風なインド人ママが、一人でニューヨークを訪れるところから、このストーリーは動き出します。
自分自身を取り戻す旅
今、日本では、女性に対する根源的な差別システムが露わになり始めています。これまでは当然のこととして隠されてきた事実。大学入試の得点まで意図的に操作されていたという、なんとも恥ずべき行為が暴かれています。
でも、そのように数量的に測られるもの、形として明らかな差別以外にも、差別と言うものはいつの時代にも、世界のどこにでも存在する。それはひとつの事実です。
様々な形、様々なシチュエーションの中で。女性だから、ということだけではなく。家庭内でも地域社会でも、ごくごく身近なコミュニティの中でも。
他者を貶め、その尊厳を否定することで自分の存在価値や権力を保とうとする、そういう人がこの世に存在する限り、差別はつねに存在します。とても残念なことではありますが。
でも、だからと言って、それに服従することはありませんよね。
差別する他者の心を変えることは出来ないとしても、自分の心は変えることができます。
それは、自分を尊ぶこと、自分を認めること 、自分にOKを出すこと。
誰よりもまず、自分が自分を愛すること。
言い尽くされた言葉に聞こえるかもしれませんが、あえて言います。
差別的待遇に甘んじたくないと感じるならば、あなたがまずするべきなのは、あなたがあなた自身を認め、尊重し、愛すること。それしかありません。
そしてそれは、あなた自身にしかできないことです。
アジアに通底する文化基盤を思い出させてくれる映画
第2次世界大戦に敗れて、いえ、おそらく明治の文明開化の時代から、日本は脱アジア、欧米基準を目指してきたように思います。でも、必死に欧米化路線を邁進して、民主主義国家を標榜していても、真の民主主義も議会政治も、男女平等も人権尊重も、どれも上っ面だけなのだということが今、私たちの目の前に次々に明らかにされてきていますね。
日本は表面はともかく、やはり根っこがアジア文化に根差しています。それは私たちのアイデンティティでもあるので、それを否定するつもりは全くありません。むしろ大切にしたい感性、習慣がたくさんあります。
ただ、そうであるという認識の上で物事を捉え、対応していく必要があることに気づくべきなのだと、この頃は思うようになりました。
「マダム・イン・ニューヨーク」は新進女性監督の手になるインド映画です。
ついこの4月にインド旅行に行ったばかりだからなのか、ヒロインにとても親しみを持ってしまうのですが、それはさておいても、女性ならば「うん、うん!」と頷いてしまうシーンがそこここにあるのではないでしょうか?
伝統的なインド料理を得意とするヒロインですが、英語は苦手。家族を何よりも大切に思い、献身的に尽くしているというのに、ビジネスマンの夫ばかりか、子供たちにまで馬鹿にされる始末。でも彼女の心の痛みを家族は想像すらしていないのです。
そんな彼女が、ニューヨークに一人旅することになり、辛い目にあっては涙し、時に心ある人に助けられ、その中で自分の尊厳を自分でつかみ取っていくというストーリー。
ヒロインに関わってくる登場人物たちは、ややもすれば類型的な描き方かもしれません。でも世界中から雑多な人々が集まって来るニューヨークを戯画的に(かつコミカルに)描き出しています。そんな仲間たちとの交流のなかでヒロインは見失っていた自分自身への信頼と愛を取り戻していきます。
インド女性のサリー姿は美しい
やはり、女性が作ったからでしょうか。感情表現が細やかです。そして、夢物語のようでいても、しっかりと地に足がついています。
それにしても、ヒロイン(とても有名なインドの女優さんだそうです)のサリー姿の、なんて美しいこと!
日本女性が着物や浴衣を着た時、おそらく他国の人達もそう感じるのではないかな。そんなことにも想いを巡らされた、ステキな映画でした。
ちなみに、インドでは首を横に揺らすのが「Yes」の意味で、うなずくのが「No」。
そのことを頭に入れてこの映画を見てください。ちょっとした仕草に表れるヒロインの心の揺らぎに、胸がキュンとなるかもしれませんよ。
女性だけじゃなくて、男性諸兄にも、是非とも見ていただきたい映画です。